小田急線海老名駅の改札を出て1分。その建物に足を踏み入れると、淡々としたグレー調の壁、高い天井、抑えめの照明が迎えてくれる。看板も説明の文字もほとんどなく、まるで巨大な倉庫のよう。最初の部屋ではフリージャズが鳴り響きタップダンサーが映像の中で踊っている。大正か昭和か過去のモノクロ映像が壁面に映し出され、それが線路や電車の風景へ変わっていく。ナレーションによる説明は一切なく、変化する風景を見ているとふと過去の記憶が蘇る。そう、幼い頃に乗ったロマンスカーの一階最前列。大きなガラスの向こうに次から次へと景色が現れる、あのめくるめく感覚だ。
電車を引き立たせる「引き算」の演出
ここは小田急電鉄が2021年4月に開設した初の常設展示施設、その名も「ロマンスカーミュージアム」。1927年小田急線開業当時の車両「モハ1」の展示と映像が流れる「ヒストリーシアター」から始まり、「ロマンスカーギャラリー」には引退した5車種のロマンスカーがズラリ並ぶ(写真)。車両という「主人公」が圧倒的な存在感で迫ってくる。敢えて倉庫のような殺風景な空間で説明看板もナレーションも最小限にしているのは、すべては「引き算」の演出なのだ。ロマンスカーを引き立たせるために。
小田急沿線を俯瞰できるジオラマパーク
最大の見所は2階の「ジオラマパーク」だろう(写真)。ミニチュアとはいえ精巧につくられた東京・新宿のデパートや地下化された下北沢駅、神奈川県内のまちや川を経て箱根に至るダイナミックな立体模型。小田急線沿線がまさに一望のもと俯瞰できる。それだけではない。朝から夜まで刻々と変化する光やプロジェクションマッピングは眺めているだけでアート作品のように心地よく美しい。
「ロマンチックな空間ということでカップルのお客さまも増えています」と広報担当・小泉李緒さんは言う。取材で訪ねた時も幼児たちの集団、家族連れ、カップルに年配者とさまざまな年齢層の人たちがジオラマに見入っていた。さらに運転シミュレーターやロマンスカーをテーマとしたキッズエリア、カフェも充実している。
鉄道素人ならでこその個性的なミュージアム
これまで鉄道博物館と言えば「カメラ抱えた鉄道ファンの集う場所」という先入観があったが、ここは言ってみれば美術館の雰囲気に近い。誰もが感じたまま好きなように味わうことができる。実は企画から運営まで担当しているのが、さまざまなまちづくりを手がけているUDS株式会社だ。「ロマンスカーを運転していた高橋孝夫館長以外は鉄道の素人ばかり。鉄分(鉄道マニアの性分)が入ったスタッフがいない集団だから個性的なミュージアムになったのかもしれません」(小泉さん)
UDSはこれまで子どもの職業体験施設「キッザニア東京」や良品計画の「MUJI HOTEL」、下北沢「BONUS TRACK」等、個性的な商業施設やまちづくり事業を手がけてきた。事業と社会とをつなげるしくみを提案し、まちを豊かに楽しくすることを目指してきたこの会社が鉄道の博物館を手がけるとこんな形になる。
急成長中の海老名駅は重要な結節点
それにしてもなぜ神奈川県の「海老名」なのか。
「小田急の車両の検査を行う海老名検車区が近くにあり、検車庫をコンバージョンし建物のデザインに活かしています」(小泉さん)。県央主要駅の一つである海老名は今急成長中だ。小田急、相鉄、JRの3本が乗り入れる結節点で平均乗降数は1日約30万人(2019年度)。小田急線とJR相模線の間の開発地区「ViNA GARDENS」には2棟のタワーマンションがすでに竣工。来年春には14階建てオフィス棟が、上期中には10階建てサービス棟も誕生し、2025年度の完成が予定されている。
電車とまちのつながりを実感させる仕掛け
日本で初めて住宅ローンで「戸建てを買う」という消費スタイルを生み出したのは阪急電鉄創業者・小林一三だった。小林の経営DNAは1910年に開通した梅田-宝塚間の乗客を増やすための住宅開発にとどまらず、当時新しかった電灯付きのライフスタイルを提案。さらには遊園地や宝塚歌劇団、日本初のターミナルデパートなどを生み出し「沿線価値を高める」力を発揮した。そんな鉄道ビジネスの原点を改めて思い出した。
小田急電鉄は21世紀型のスタイルで、新たなまちと電車のつながりの価値を提案していくだろう。 鉄道事業とは当たり前のことだが、地域から離れることができない、いわば究極の「地域密着型ビジネス」だ。電車は地点と地点を「つなぐ」装置であり、まちとの関係があってこそ鉄道は輝き、同時に沿線の価値も引き立つ。そうした相互的な関係性をくっきりと浮き彫りにし、「まち」と「電車」が確かにつながっていることを実感させる展示の工夫が、ロマンスカーミュージアムの最も斬新な点であり魅力だろう。
2021/11/10 不動産経済Focus&Research