「ウィズ・コロナ」なる業界と社会の虚妄(下) 政治学者 竹井隆人
政治学者 竹井隆人

「ウィズ・コロナ」なる業界と社会の虚妄(上) 政治学者 竹井隆人 より続く

ウィルスと人類

 コロナというウィルスについて知ろうと、子供の高校生物の参考書をめくると興味深いことが縷々(るる)述べられている。それによると、ウィルスが「自力で増殖できない」ために、宿主たる人間の遺伝子に入り込んで増殖していくことはコロナ禍のせいで知っていたが、そもそも人間のもつ全ての遺伝子のうち約半数はウィルス由来で、その遺伝子情報が人間の遺伝子に転写されたとある。よって、今回のワクチンに期待されるのはウィルスに対する(人工的)免疫の生成だが、人間に生来から備わる(自然)免疫そのものが前述の方法でウィルスから授けられた機能であって、つまり人類はウィルスと共に歩み、またその“恩恵”によって生き延びてきたと説かれているのだ。

 然るに、昔からこの自然免疫を高めるのは適度で良質な睡眠、食事、運動とされているのに、それよりも免疫機能を弱めるデメリットが専門家から指摘されているマスクやワクチンを重用するのはどうかと思う。だいたい地球上に全生物の10倍以上もの数が棲息し、それも1ミクロン未満のナノ単位の大きさのウィルスを、人間生活から遮断するのは到底不能としか思えぬのに、「抗ウィルス」などとして産業界はまるで無菌室のような環境を整えることに躍起となっているが、そうした過剰な除菌対策がかえって免疫異常を引き起こして健康被害をもたらす実状は、もはや国民病と化したアトピーだの花粉症だのが、我が国より不衛生とされる発展途上国で発生しないことからも裏付けられるのではないか。抗ウィルスの徹底や、ワクチン等の対症療法に飛びつくことよりも、適度にウィルスと接することで日頃から免疫機能を(きた)えておく方がマシだとの意見の方に、私はつい合理性を感じてしまうのだ。

共同性を遠ざける業界と社会

 この「ウィルス共生」とは逆行する「抗ウィルス」に染まる世相は、社会の紐帯(ちゅうたい)をも損なう危険性があることがより問題であるように私は思うが、それはこれまで私が批判してきた「コミュニティ至上主義」にも通じることだ。すなわち、戦後急速に(すた)れてきた近隣での「コミュニティ(相互交流)」を復活させようという主張のもとに、人びとが集い、相互交流を促すための施設や空間が濫造されてきたが、それらは一過性で限定的でしかない相互交流を成す無用の長物となるばかりであり、一方で、かつては複数世帯で共用していた風呂や炊事場、トイレなどが各世帯の居住空間に取り込まれていくことによる「個別化」の進行により、不動産関連の需要が増して業界が潤うことはあっても、それはかえって「コミュニティ崩壊」を促したといえよう。いまや人びとは面倒な他人とのコミュニケーションをさらに避けるため、この「個別化」を核家族化どころか単身化や個室化によってより先鋭化させており、個々人の“引き篭もり”はいよいよ進展しているのだ。

 いまの「ウィズ・コロナ」なる掛け声による、ウィルス保有の可能性があるすべての他人と徹底的に距離を置く生活の推奨は、空間の個別化のみならず残された他人とのコミュニケーションについても、人間の五感のうち表情やしぐさ、声色などを捨象した、メールやSNS上での文字ばかりに特化するため、その能力のさらなる退化を招くことは必至であろう。

 これらは本来、人びとが共用している生活上必須のインフラ等の公共の施設やサービスについて、人びとがその運営を合議していく機会や能力をいよいよ失わせ、そして、マスコミや業界への利益誘導もあって、人びとの代理人である代議士や、その委託を受けた役人の勝手放題と、それへの人びとの隷従を増強させることになろう。そうなればこのような社会では、デモクラシーという立派な看板を掲げてはいても、その「共同性」はただの虚妄として果てるしかあるまい。(2021/9/29 不動産経済Focus &Research)

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