新時代の管理運営を探る㊺ 多摩ニュータウン入居開始から50年 公と民の連携で進む、次の50年に向けたまちづくり(上)ー飯田太郎(マンション管理士/TALO都市企画代表)
多摩ニュータウン(東京都都市整備局)

3月26日、多摩ニュータウン(以下、多摩NT)に、最初の住民が入居してから50年になった。総面積約2,884ヘクタール、多摩、八王子、町田、稲城の4市にまたがる、山手線内側の半分に近い広さの丘陵地帯を開発したのは、420万戸といわれた戦後の住宅不足と、1950年代・60年代に計600万人超が首都圏に流入したことに対処するためだった。64年の事業着手から7年足らずで入居開始に至ったことが示すように、日本が最も元気な時代を象徴する事業である。開発当初と社会経済環境が大きく変わるなか、まちも集合住宅も再生の検討が必要な時期を迎える多摩NTのこれからを考える。

 多摩NTは1963年に制定された新住宅市街地開発法(新住法)をもとに、整備された集合住宅中心のまちである。新住法が制定された前年の62年に区分所有法が制定され、マンション等の区分所有建物の権利関係と維持管理についての基本的な枠組みが明確になった。集合住宅に関連する、2つの法律が制定された背景には、無秩序な宅地開発と住宅供給への懸念があった。

 60年に国民総生産(GNP)を10年以内に倍増し、西欧先進国並みの生活水準を実現するという所得倍増計画、63年には東京、名古屋、大阪、北九州を繋ぐ「太平洋ベルト地帯」に工業地帯を形成する全国総合開発計画(全総)が策定された。これらの計画を背景にGNPが1961年から71年の間に年率平均10%超で増加し、69年には西ドイツを抜いて世界第2位の経済大国になった。45年の終戦時に7,199万人だった人口は、67年に1億人を超えた。東京都の人口も50年の627万人から、70年に1,141万人に増加した。

 64年の東京オリンピック開催に向けて、東京都心部では首都高速道路等の整備や再開発事業等が進められた。63~64年に第1次マンションブームが発生するが、入居後の維持管理についての考え方は理解されていなかった。郊外では道路、上下水道等のインフラが整備されないまま無秩序に市街地が広がっていた。多摩NT事業はこうした中でスタートした。

 60年頃から南多摩地域の開発が検討されていたこともあり、新住法施行とともに用地買収が始まり、都市計画決定(65年)と事業認可(66年)を経て工事に。71年3月に諏訪・永山地区で公団賃貸・都営住宅合わせて2,691戸 の入居が始まった。

 現在は森の中の住宅群だが、入居開始当時の写真には、山林を伐採した後の緑が見えない土地に、無機質なコンクリート造の集合住宅が並んでいる。鉄道も開通前で、居住者は4㎞離れた駅までバスで通ったという。

 多摩NTは当初、都心部に通勤する人たちのベッドタウンとして構想されたが、その後の社会経済環境の変化に対応し、豊富な緑のなかで職住接近の暮らしもできるまちとして成長した。住宅の種類や形態も、タウンハウスや戸建も含む様々なタイプが供給され、分譲マンションも多い。

2021/4/5 月刊マンションタイムズ

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