いつでも楽器演奏ができるように防音性能を高めた賃貸マンションが好調だ。その事情を探っていくと、これからの不動産事業に関するいくつかのヒントが見えてくる。集合住宅にとっての付加価値とはなにか、豊かな暮らしを実現するために不動産業がすべきことは何かといったことだ。そもそも集合住宅にとって防音性能は「深夜にピアノが弾ける」とまではいかなくても極めて重要であるという認識が欠けていたこともその1つである。
コロナ禍を機に改めて高まる防音性能への認識
東京23区では賃貸マンション居住者が過半
東京の持ち家率は東京都全体で44.5%、23区では41.1%。逆に言えば23区では6割近くが賃貸住宅に居住している。また23区では賃貸マンション居住者が全住民の51.2%と過半を占めている(18年住宅・土地統計調査)。賃貸マンションにおける住民同士のトラブルで最も多いのが騒音問題だ。子供が大きくなるにつれ分譲マンションや戸建て住宅に移る人が多いのも子供の騒ぐ声や飛び跳ねる音を近隣住戸に気兼ねするからである。壁1つ隔てて暮らしているのだから、集合住宅で安心して暮らすためにも遮音性は極めて重要な要素となる。近年、新築賃貸マンションの遮音性は高まりつつあるとはいえ、プライバシーという基本的人権にも関わるものだという認識には至っていないのではないか。
そのことに改めて気付かせてくれたのが、昨今の“防音賃貸マンション”に対する需要の強さである。これは音楽好きな人たちが自由にいつでも音楽を聴いたり、歌ったり、楽器を演奏することができるマンションのことだが、防音性が住み手の自由な暮らしを支える基盤になるという意味では音楽愛好家に限った話にはならない。現にそうした個性的で自由な暮らしに対するニーズはコロナ禍を機に増大している。仕事や趣味、更に言うなら自分の生きがいと住まいとの親和性を求める人たちがコロナを機に増え始めたということだ。そもそも住まいとは本来そうしたニーズを満たすべき場所でもある。仕事や趣味、まして生きがいともなれば人はそれぞれ。そうした個性を感じさせる場であるからこそ、「住まいは人なり」(吉田兼好・徒然草)である。
住まいはコンセプト化の時代へ
ニッチ市場には参入しがたい大手企業
いわゆる防音賃貸マンションの市場全体に関するデータは見当たらないが、「音楽マンション」の登録商標を持つ越野建設や、「MUSISION(ミュージション)」シリーズで知られるリブランなど主だった事業者の業績を見れば近年の需要増大が十分推測できる。例えば、リブランの「ミュージション」シリーズは今年度その供給が急拡大している。これまでは平均で年間2棟30~40戸程度のペースだったが、22年度は7棟約150戸(予定含む)を開発。例年の4~5倍で過去最高水準だ。同社によるとコロナ禍で、「近年は在宅時間の増加で賃貸住宅の遮音性に対する注目度が上昇している」ことも背景にあるという。どういうことか。同社宣伝部のミュージション担当者によれば、需要の8割は音楽を仕事や趣味にしている人たちだが、残り2割は高い防音性能自体を望む人たちだという。配信動画の作成などニーズの多様化を感じさせる話でもある。ちなみに、ミュージションは現在首都圏で全20棟、529戸が供給されているが、なんと空室を待つ待機組が3000人を超えている。そのため、空室が発生しても早ければ30分以内、遅くてもその日のうちに次の入居者が決まるのだという。こうした強いニーズを背景に防音賃貸マンションが今後は地方都市にも広がっていくとの見方もある。
では、これほどの需要がある防音マンションなのに、なぜ大手企業が参入してこないのか。実はそこにこそ、これからの不動産市場を占う重要な視点が隠されている。その1つは、音楽を愛する人たちには強い魅力であるものの、住宅市場全体からみれば防音マンションがニッチ市場であることに変わりはない。今は価値が多様化しているとはいえ、大企業は基本的には大量生産・大量販売による利潤の最大化を求めざるを得ないのが宿命だ。しかし、住み手である個人からすれば、かつての誰からも受け入れられそうな画一的マンションにはあまり魅力を感じなくなりつつある時代でもある。ということは、緑茶や缶入り酒類の多品種化が進んでいるように、住宅という高額な商品(持ち家、賃貸を問わず)にあっても、これからはコンセプト化、少量生産・多品種化を志向せざるを得ないということではないか。