(追悼)石原慎太郎と「都市」 政治学者 竹井隆人
政治学者 竹井隆人

 

 石原慎太郎氏が逝去された。その訃報に対して多くのコメントが溢(あふ)れたが、彼のことをやれウルトラ右翼だの、やれ差別主義者だのと誹謗する類のものは論外としても、国士と持ち上げ、あるいは小説家としての才能や、都知事や国会議員としての業績をもって評価する賛辞についても何やら言い足りていない気がした。というのも、私には石原が確固たる哲学を持ち、たとえば「都市」の在り方の本質をわきまえた稀有な人物と映っていたためであり、以下、そのことについて述べてみたい。
 その昔、私は「建築の敗北」という文章を書いたことがある。関連する業界や研究者の方はタイトルを見ただけで目を剥(む)くかも知れぬが、この拙文は某大学の入試問題(現代文)にも採用されており、世間では一定に評価する向きがあるのだろうとも自負している。これを読み返すと冒頭から「現代建築に私の魂を揺さぶるものは何もない」とあって、我ながら「若いなあ」と苦笑してしまうが、そのときに私の念頭にあったのは、幕末に訪日した写真家F・ベアトが撮影した江戸の情景であった。この写真は江戸全体を見渡せる小高い丘にある愛宕神社(港区)から見下ろした、瀟洒(しょうしゃ)な黒色の屋根が連綿と果てなく続く壮大なパノラマで、そのまるで大海原のような迫力に呑み込まれるような感覚に襲われるのだ。
(https://collection.topmuseum.jp/Publish/detailPage/4011/1)
 この同じ写真が都知事の執務室近くに飾ってあったようで、石原はこの荘厳な江戸の街並みを称揚するも、それと比べて現代の東京はコンクリートででっちあげた不格好な建物が勝手に乱立し、原色のサインやらネオンやらがギラつく「巨大な反吐(へど)」だとまで痛罵していた(石原「二枚の写真」『日本よ、再び』)。

「都市」の実相 


 よく我が国の「都市」の在り様は「オモチャ箱をひっくり返したようだ」と揶揄(やゆ)され、諸外国のそれに及ぶべくもないと酷評される。幕末に日本を訪れた多くの外国人を感嘆させた江戸の美しき街並みが、どうして今日の体たらくに陥ったのだろうか。
 まず、「都市」とは何かと言えば、ただ複数の人間が集まって住む物理的態様のみを指すわけではない。人びとの生命や財産を守り、その生活利便を促すための施設やサービスを「社会資本」として共用し、それを人びと自らが統御していく政治的機能も求められるのだ。しかしながら、そのいよいよ高度化する「社会資本」のコントロールは人びとの手に負えなくなり、政治家や役人による勝手放題を許すことで、さまざまな問題が頻発している。街並みも為政者による独裁的な強権の発動によるのでなく、人びとの意識を為政者が追認していくことでしか成され得ぬものであり、ましてやそれは江戸時代よりもいまのデモクラシー体制の下ではなおさらのことであろう。石原はその真理をよく分かっていたはずで、それは著作『法華経を生きる』から読み解ける。

リベラルからの脱却 


 この「都市」の機能不全の素地は、石原もたびたび論難していた「リベラル」の進展に起因するのであろう。冒頭の「建築の敗北」は拙著『社会をつくる自由』に所収するが、同書では人びとが共用する「社会資本」をさんざ用いて生活しておきながら、独りで生きているとの幻想の下、「リベラル」という放埓(ほうらつ)に等しい「通俗なる自由」に興じ、社会を創造する主体としての振る舞いたる「社会をつくる自由」を蔑(ないがし)ろにしているととき、それがために招いた不幸の一つに乱雑な街並みもあると申したのだ。
 石原はしばしば「傲慢」などと非難されたが、『法華経を生きる』には若き石原兄弟が初めて手にした収入でお墓を建てたくだりがあり、それこそ仏法の真髄(実相)というものが、念仏だの禅だのは措いても、ただ自己の他に「強大な力」が存るとの自覚にあることを言い尽くしている。むしろ、自己という存在がこれまで受け継がれてきた生命の賜物であり、それを繋いでいく義務があることをわきまえぬ生き方こそ、よほど「傲慢」ではあるまいか。例を挙げればキリもないが、昔から重んじられた「老いては子に従え」との教えを忘れ、年金制度により子供に依存せずに自活している錯覚に陥り、挙句(あげく)の果てに「生き甲斐」なる得体の知れぬものを追い求め、ひたすら自己の享楽を貪(むさぼ)る高齢者の何と多いことか。独りで生きていると現代人が過信するのは、世帯の分断や、神棚や仏壇の無き空間での居住によって、日常から死生観や信仰を失ったためでもあろう。しかしながら、その驕(おご)りが「他人との共同」がなくば生活できぬという謙虚さや、家族を、そして都市や国家という秩序ある社会を自らが築き、維持していかんとする原動力を欠落させたのだ。
 かつて東日本大震災に接して石原が「天罰」と発言したことが物議を醸した、というよりも「被災者に失礼だ」などと筋違いの罵声を浴びることとなったが、その真意は上述の現代日本人の「傲慢」をたしなめ、警告するものと受け止めるべきものであろうに、と私は情けなく思ったものだ。折しも宇露戦争が勃発したことで、それを対岸の火事とも思えぬ我が国では(石原の悲願でもあった)改憲も含めた国防意識が高じてきたようだ。しかし、さらに求めるならば、石原を瞠目させた江戸の写真が今でも都庁舎内に飾られているそうだが、かつては素晴らしい街並みをつくった人びとのDNAなる「社会をつくる自由」も覚醒すれば、泉下の石原も少しは安堵するに違いあるまい。

2022/3/16 不動産経済Focus&Research

不動産経済Focus&Research

コメントをどうぞ
最新情報はTwitterにて!

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめ記事