住まい手が組合を作り土地の手当から建物の設計、建設、管理方式までを自分たちの手で行うコーポラティブ方式の共同住宅が誕生してから約50年。コーポラティブハウス全国推進協議会は、50周年記念イベントとして連続座談会「コーポラティブのこれまでとこれから」を2月から7月まで毎月1回開催している。コーポラティブハウスのストック数は、やや古いデータだが千葉大学大学院の丁志映氏によると2015年4月現在、730 プロジェクト、1万3126 戸である*。同時期のマンションストック総数が約613万戸だから、ストック全体に占める割合は小さい。それでもコーポラティブハウスが存在感をもち、設計関係者や研究者等、高品質なマンションの実現を希求する人たちを惹きつけるのは、共同住宅の原点ともいえる協同の精神があるからだろう。
コーポラティブハウスが登場した1970年代の初め、デベロッパーが供給するマンションは、3次にわたるマンションブームを経て市場に定着した。供給されたマンションはまだ累計3万戸程度に過ぎなかったが、高度経済成長によるライフスタイルの急速な変化を実感するなかで、マンションは都市生活者の憧れの的だった。
しかし、その半面、マンションについての制度インフラは、1962年に区分所有法が制定されただけで、供給や管理の実務について特段の定めがなかった。別荘地分譲等をしていた新興の不動産会社が手がけることも多く、財閥系等の大手不動産会社は一部を除き市場にほとんど参加しなかった。建築確認を取得した直後の建物が無い状態で「青田売り」をし、前金を受け取りながら建物を作らず刑事事件としてマスコミを賑わしたケースもあった。
不動産業界が全体として社会的信用が低かったこともあり、1976年に建設省(現国土交通省)は、「宅地建物にかかる取引条件の明確化、工事施工の適正化、建築物の設計及び施工管理の適正化等について」の通達を発し、規制に乗り出した。その一方でコーポラティブハウスについての研究も実施、1978年に「自ら居住するための住宅を建設しようとする者が、組合を結成し、共同して、事業計画を定め、土地の取得、建物の設計、工事の発注、その他の業務を行い、住宅を取得し管理をしていく方式」と定義した。また日本住宅公団や東京都住宅供給公社といった公的組織もコーポラティブハウスの供給に乗り出した。
1980年代に入り中高層住宅標準管理規約が作成され、区分所有法と不動産登記法も改正された。日本高層住宅協会や高層住宅管理業協会等の業界団体も整備され、マンション供給と維持管理に関連する制度インフラの整備も進んだ。区分所有法制定から20年近くが経過することで、デベロッパーと管理会社を主体とする事業の仕組みが安定し、マンションの大型化、高層化、大量供給が可能になった。信用力の高い大手デベロッパーがマンションを手がけるようになり、公団、公社等によるコーポラティブハウスは姿を消した。それでも設計事務所等の住まい手のコラボレーションとしてのコーポラティブハウスは、地味で小規模ではあるが着実に建設され続けた。
50年を迎えたコーポラティブ方式 これからの可能性を考える(下)へ続く
2022/5/5 月刊マンションタイムズ