「ウィズ・コロナ」なる業界と社会の虚妄(上) 政治学者 竹井隆人
政治学者 竹井隆人

 同調圧力による専制

 いつも不思議に思うのだが、現代日本人は日頃から「自由」が大切との言説に酔い痴れるクセに、ひとたびある種の「自由」を抑制する風潮が席巻するや、その同調圧力にシブシブ従うどころか、むしろ進んでその支配下に甘んじてしまう。

 たとえば、先日終えた東京オリンピックは無観客で催行されたが、同時期に開催されていた海外のスポーツイベントでは会場にパンパンに観客が詰まり、しかもその誰もがマスクなどしていぬ様子が映し出され、さらにその開催国でのコロナ・ワクチン接種率は我が国でのそれの同等以下で、人口当たりの死者数は我が国のそれを10倍は上回っていることが判明しても、それをオカシイと思わぬ、あるいはそう思っても黙っている同胞が多いように見受ける。私は反マスクや反ワクチンの信者ではないが、多くの人びとが法律で強制されているわけでもないのに、屋外で独りきりでいてもマスクを着用し、また、治験が不十分とされるワクチン接種にも積極的な様子に違和感をもってしまう。それどころか、感染予防を唱えながらマスクを着用していない人に向かって注意する声を平気で浴びせ掛けたり、あるいは普段は遺伝子組換え食品を口にするのをためらいながら自己の遺伝子を操作するワクチンには殺到したり、といった矛盾があるとしか思えぬ光景に接すると、そこに同調以上の何かを感じてしまう。

 近頃、私がとくに気になるのは世間で叫ばれる「ウィズ・コロナ」なる標語だ。人びとは何ら気にすることなく受け入れているようだが、それが字義どおりに「コロナとの共生」を意味するのかと思えばそうではなく、かえって真逆の方向へ進んでいるようにしか見えぬからだ。(2021/9/29 不動産経済Focus &Reserch)

「ウィズ・コロナ」なる業界と社会の虚妄(下)へ続く

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